美しさ=℃-ute

 カッコイイとか、可愛いとか、そういう形容詞には具体的なモノがない。だからこそ、人それぞれのカッコよさや可愛さがある。

 自分の美しさはまさに℃-uteによって形成されたと言える。なんだろう、あの感じ。表面的な美しさは見れば分かる。あの内面、いや背景にある悲しさみたいなものが凄い表面の美しさを際立たせる。

 Berryz工房との比較や下積みの長さ、メンバーの脱退やメンバーカラーの変更、自分の知っていること以外にも多分たくさんあるのだろう。その美しさの裏側にある、悲しい出来事が見え隠れするのがたまらなく良い。けして、悲しみを持っていることが良いのではない。ただ、目指した道に悲しいことが多かった。そして、それを乗り越えてやってきたという自信が美しいのだ。℃-uteの場合は、それでも自信がなさそうなところが更に良いのだが。

 15年で熟成された℃-uteの美しさは眩しい。暗い影があるから、光がより眩しいのかもしれない。もう後にも先にも、こんなに美しい人達を見ることはないのかもしれない。6/12以降はそんな気持ちになる。そして、他のモノが美しくないように映ってしまう。対比することこそ間違いなのかもしれないが、ただ℃-uteが実在するという現実を知ってしまった、見てしまった以上、わかっていても対比してしまう。

 最後に見に行ってよかったとほんとに思っている。遠くから見ても眩しい、あの美しさはもう二度と見れないかもしれない。