だから、論理、論理、切なくて

ここ3ヶ月くらいの間、ずっと昇格論文を書いている。今までのプロジェクトでの体験を元に、10枚位に成果をまとめるといった、よくある成果論文である。

書き出す前は、結構いろいろ意識してプロジェクトをやっていたから、10枚くらい余裕で書けるだろうと考えていたが、書き始めるとそうでもない。正確に言えば、10枚書くのは余裕だが、成果を論理的に他人に提示するという作業が非常に難しい。今までいかに曖昧に物事を考えてきたかが顕になった。最初の1ヶ月で、結構しっかり練った論文を作ったので、上長に出すときも「こりゃ〜、一発で通っちゃうかな。いや、流石に何も指摘なしはないだろうけど、すげー細かいとこ突付いてくる感じだろうなw」くらいのイメージだった。そしたらまさかの大赤字、それも指摘の内容を読めば納得のいくものばかり。井の中の蛙と言うのか、恥ずかしすぎて笑うしかなかった。

そこからの修正は困難を極めた。指摘の衝撃が大きかった分、逆に文章が書けない書けない。何を書いても指摘されるのではという恐怖に悩まされ、書いては消しを繰り返した。結局、1ヶ月半くらいを修正にかけてしまった。1回目より修正を取り込んでいる分洗練されていると思うが、1回目の方が文章自体には自信を持てていた。

と、まさに今日その修正した論文を上長に提出したのである。

 

結局、この論文の作成(まだ何も終わっていはいない)を通して思ったのは、普段から何をするにもコストを意識することが大切なのだと思った。大体コストの動きで、その動作に価値があったのかなかったのかが論理的に判断できる。この論理的な判断を下す際にコストは便利である。なんとなくだが、「コストが〜%削減できました!!!」と言われたら、なんとなく何かいい感じなんだなと思う。(こんな、「なんとなく」とか、「いい感じ」とか、「思う」みたいな曖昧な言葉を使っている時点で、論理的ではない。)

 

まぁとりあえず、もうちょい頭を使う時間が続きそうです。

次回は、この論文作成の時間を残業時間とするか問題について、論理的に考える。(お、何か次回は期待できそう…果たして、論理は垣間見えるのか、乞うご期待!)