近況 分岐点を通り過ぎました
やるやる言って、ずーっとやっていなかった勉強をようやく再開した。
今まではとりあえず始めようって言ってやり始めたんだけど、理解出来なくてソッコー終了、ちょっと間を開けてまた始めるも挫折の繰り返し。
今回はすーぱー基礎から始めたので、まだ挫折せずに続けられている。と言ってもまだ1週間もやってはいない…。
何事もまずは基礎の基礎が大事だということを改めて思い知らされている。
最近仕事はプロジェクトが変わって、そこまで忙しい感じではなくなった(と思いたい)。今の所自分一人しかいないので、ある程度自由に作業を進められるという久しぶりの開放感を満喫している。しかし、隣の席では旧プロジェクトが炎上しているので、そんなに楽しんでもいられないけどね。
とりあえず、新しいマネージャーは仕事が出来すぎるので、仕事自体に問題は起きないだろうけど、上手く歩み寄れるか心配だ。
そーいや、新しい家が決まりそうだ。審査なうだが、通れば今週末には契約だ。
なんだかんだスパスパと物事が決まっていくが、もう2ヶ月もしたら自分は結婚するということにあんまりピンときていない。
まぁ実際に環境が変われば実感も湧くのかもしれないけど、とりあえず不安ではないのでよし。基本的には幸せの方向にしか進んでないと思いたい。
結婚とか、移動とか、いろいろな分岐点を通り過ぎたけど、今はトータル楽しいのでいい状態なんだと思う。あとは、もう少し勉強の調子が上がってくればいいのだが…
美しさ=℃-ute
カッコイイとか、可愛いとか、そういう形容詞には具体的なモノがない。だからこそ、人それぞれのカッコよさや可愛さがある。
自分の美しさはまさに℃-uteによって形成されたと言える。なんだろう、あの感じ。表面的な美しさは見れば分かる。あの内面、いや背景にある悲しさみたいなものが凄い表面の美しさを際立たせる。
Berryz工房との比較や下積みの長さ、メンバーの脱退やメンバーカラーの変更、自分の知っていること以外にも多分たくさんあるのだろう。その美しさの裏側にある、悲しい出来事が見え隠れするのがたまらなく良い。けして、悲しみを持っていることが良いのではない。ただ、目指した道に悲しいことが多かった。そして、それを乗り越えてやってきたという自信が美しいのだ。℃-uteの場合は、それでも自信がなさそうなところが更に良いのだが。
15年で熟成された℃-uteの美しさは眩しい。暗い影があるから、光がより眩しいのかもしれない。もう後にも先にも、こんなに美しい人達を見ることはないのかもしれない。6/12以降はそんな気持ちになる。そして、他のモノが美しくないように映ってしまう。対比することこそ間違いなのかもしれないが、ただ℃-uteが実在するという現実を知ってしまった、見てしまった以上、わかっていても対比してしまう。
最後に見に行ってよかったとほんとに思っている。遠くから見ても眩しい、あの美しさはもう二度と見れないかもしれない。
ロン
前回言っていた論文がとりあえず書き終わった。明日いよいよ上長経由で部長に送りつける。結果はどうなるか分からないが、ここでOKが出ればいよいよ昇格の道が見えてくる。上長には特にいろいろ動いてもらったので、何としてもOKを貰って先に進みたい。結果を出すためにやっているのだから、結果が出なくては意味がない。
本題だが、仕事とはどこまでが仕事なのだろうか。私は、この論文の作成も仕事だと思っている。また、朝早く出社し、業務について勉強している時間も仕事だと思っている。が、正確に仕事とは何なのかと言われると答えづらい。なので、とりあえず会社にいる時間は仕事としている。これが良いのか悪いのかは分からないが、少なくとも仕事の定義については近いうちに考えたほうがよさそうだ。
前回で、「次回は、この論文作成の時間を残業時間とするか問題について、論理的に考える」とか言ったが、そーゆー難しいことを考えない自由があるのも仕事ではないからである。 そしてそれについて責任を負わなくていいのである。お、少しづつ仕事との境界線が見えてきそうだ。まぁ、これ以上は今は考えないが。
結果的に何が言いたいかというと、今日はムチャクチャ暑かったということ。そして、フットサルはやっぱり凄い疲れるということ。そして、楽しかっということである。
だから、論理、論理、切なくて
ここ3ヶ月くらいの間、ずっと昇格論文を書いている。今までのプロジェクトでの体験を元に、10枚位に成果をまとめるといった、よくある成果論文である。
書き出す前は、結構いろいろ意識してプロジェクトをやっていたから、10枚くらい余裕で書けるだろうと考えていたが、書き始めるとそうでもない。正確に言えば、10枚書くのは余裕だが、成果を論理的に他人に提示するという作業が非常に難しい。今までいかに曖昧に物事を考えてきたかが顕になった。最初の1ヶ月で、結構しっかり練った論文を作ったので、上長に出すときも「こりゃ〜、一発で通っちゃうかな。いや、流石に何も指摘なしはないだろうけど、すげー細かいとこ突付いてくる感じだろうなw」くらいのイメージだった。そしたらまさかの大赤字、それも指摘の内容を読めば納得のいくものばかり。井の中の蛙と言うのか、恥ずかしすぎて笑うしかなかった。
そこからの修正は困難を極めた。指摘の衝撃が大きかった分、逆に文章が書けない書けない。何を書いても指摘されるのではという恐怖に悩まされ、書いては消しを繰り返した。結局、1ヶ月半くらいを修正にかけてしまった。1回目より修正を取り込んでいる分洗練されていると思うが、1回目の方が文章自体には自信を持てていた。
と、まさに今日その修正した論文を上長に提出したのである。
結局、この論文の作成(まだ何も終わっていはいない)を通して思ったのは、普段から何をするにもコストを意識することが大切なのだと思った。大体コストの動きで、その動作に価値があったのかなかったのかが論理的に判断できる。この論理的な判断を下す際にコストは便利である。なんとなくだが、「コストが〜%削減できました!!!」と言われたら、なんとなく何かいい感じなんだなと思う。(こんな、「なんとなく」とか、「いい感じ」とか、「思う」みたいな曖昧な言葉を使っている時点で、論理的ではない。)
まぁとりあえず、もうちょい頭を使う時間が続きそうです。
次回は、この論文作成の時間を残業時間とするか問題について、論理的に考える。(お、何か次回は期待できそう…果たして、論理は垣間見えるのか、乞うご期待!)
冒険よ、再び
最近ゲームを惰性でやっている自分が恥ずかしくなるような記事。
『ゼルダの伝説 BotW』のAmazonレビューが感動的だと話題!「電車から見える山を”登れそう”と思った瞬間涙がとまらなかった・・・」:はちま起稿
何故か昔のゲームのほうが面白く感じてしまい、今のゲームにすぐ飽きる。それは今のゲームに面白さが無くなったのではなく、自分にゲームを楽しむ力がなくなったからなのかもしれない。
家に帰るまで待ちきれず説明書を読みながら帰ったあの日、約束の1時間が終わりそうなのにボスがなかなか倒せなくて焦っていたあの日、友達がやりそうにないゲームをひたすらやりこんだあの日、どの日もすごい熱を持ってあの画面を見つめていた。
あの熱はどこに行ったのだろう。何処かに置いてきたのだろうか。自分の中に眠っているのだろうか。きっと攻略することが大事なのではなく、攻略するためにかける熱量が大事なのだ。
あの日の、あの熱量を取り戻す冒険を始めよう。
それが今、大人になった僕が始めるゲーム。
コンクリートジャングルのターザン
9連休も最終日、今日は千葉のターザニアに行ってきた。
ターザニアは、調べたところによると複合運動施設の一施設で、周りには陸上用のタータンや、テニスコート、室内にはプールなどもあるらしい。
アスレチック好きの某Youtuberが紹介していたので、前から興味はあったが、行ってみるとだいぶ思っていた感じと違った。
まず、自分は高いところが得意ではないようだ。
いや、ターザニアの醍醐味っっ!とツッコミたくなる。
普段の生活であまり高さを意識したことがないからなのか、自分でも驚きである。怖くて登れないということはなかったが、終始命綱を握っていた。そのせいか、凄い手が痛い(笑)
次に、平衡感覚やバランスが思った以上に悪いということ。
平均台程度なら問題ないが、綱渡りになると全くバランスが取れなかった。取れるほうが少ないのかもしれないが、自分はできると思っていたので想像以下にはなる。その過信の代償として、ふくらはぎに大きな傷をおった。
実際にやってみると改めて見えてくることが多い。そんなこと知っているよと思いがちだが、本当に理解出来ている人はどれだけいるのだろうか。こんな単純な自分の情報さえも取りこぼしてしまう理解度の低さ、これを見れば僕がいかに自分のことを理解していないかが分かる。他の人はこれを見て笑うかもしれないが、僕にとってはまたいい勉強になる時間だった。自分の新たな一面を理解し、自分への理解度を高めた1日だった。コンクリートジャングルのターザンが、野生に帰るというのも悪くはない。
次の約束が大事だったりする
9連休の8日目、フットサルのメンバーでBBQに行ってきた。
BBQは大学4年の時、丁度教員採用試験の1次試験が終わったあとに行った、バイト先のBBQ以来だ。
今回のGWのメインのイベントでもあるBBQは、とても楽しかった。
陽射しが強く暑いのだが、その暑さが苦にならない。
設営や片付けは大変だが苦にならない。
苦になるどころか、楽しさすら感じる。
これがBBQだからかなのか、友人といるからなのかは分からないが、これだけ休日が楽しいと、仕事に行くのが億劫になってしまいそうだ(笑)
僕の所属するフットサルチームは、中学の同じサッカー部だったメンバーで構成されている。中学時代の友人なので、もう知り合って10年経ったことになる。
10年経って何か変わったかと周りを見渡したが、特に何も変わってはいなかった。
むしろサッカーという共通の目的がなくなったために、友人との考えの違いに頭を悩ませることもなくなり、距離は縮まったとすら感じる。
楽しかったBBQの終わりには、来年のBBQの話をした。
来年もやる気なんだなと楽しみになったが、みんなが楽しかったと思った会の次回を考えるのはとても当たり前な感じがした。
何かを開くうえで、主催者として一番嬉しいのは参加者が次回開催を期待してくれることだと思っている。それも、参加者自ら次回開催を持ちかけてくれること。
自分も主催者側になる機会が増えたが、まだまだ参加者にそのような感情を抱かせるには至らない。
まぁあくまでもプライベートなので、自分が楽しむことが大切だと思うが、自分の周りの人にも楽しんでもらうというのは大切だと思っている。
明日は自分が会社の同期を誘って千葉のターザニアに行く。
少しは自分以外の人を楽しませることに重きを置いてみようか。